どうも、結城です。
最近、更新頻度が上がっていますね。
まぁ、去年の3月ぐらいまでは毎日更新していたので、当たり前ではありますが。

えっと、皆さん知ってのとおり私は教会にちょくちょく顔を出します。
理由は、ゴスペルに必要なものを理解したかったから。
でも、色々と考える時期になっています。
考えてみると片手では足りないほどの年数を教会に行ってすごしているのですが「あなたは神様を信じますか?」と言われると、苦しいときがあります。

基本的な返答は「信じています」ですが、そこの過程に色々あってそれがかなり邪魔をしています。
考え方としては、確かにキリスト教は好きなんだけど、いまだに踏み込めない。
どうやら、雑学として、知識として学ぼうという気持ちのほうが強いみたいなんですよ。
そうなってくると、少々めんどくさい(言い方悪い)ことになります。

「この教会を支えて欲しい」って言われても、今の状態では部外者に過ぎないし(ごめんなさい)、なんか違う。
ただ、もしいつかひとつの宗教を選んだとき、それに固執しない考え方をしたいと思う。
自分の考えはあくまでひとつの意見であって、相手とは宗教論による喧嘩はしたくない(要は無干渉)。

時々考えることは「音楽による洗脳をしてはいけない」ということ。
純粋に、ゴスペルは内なるものを出すから、それだけのエネルギーがある。
だけど、果たしてそれだけを使って広めていいのだろうか。
これは、ゴスペルだけじゃなくて、ほかの音楽にも言いたい。
実は個人的に「ん?」と感じることがありました。
音楽で広めるのはいいと思います。
だけど、果たして音楽を求めるだけでその宗教に入るというのは、いかがなものか?とも思うのです。
内なるものが備わるから音楽が響くのであって欲しいと思うので。

ただ、私はゴスペルという音楽が好きなことには変わりありません。
だから歌い続けるし、歌い続ける限りこの問題は付きまとうと思います。
心の水として考えていけたら、素敵ですよね。

※この文章を読まれて不快感を感じた方、申し訳ありません。
 ただ、私は不安になったので書きました。
 けして、一定の考え方を、宗教を否定することではありません。
 未熟ながら、考えたことを述べさせていただきました。
 すみません。

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