本日は日曜日にもかかわらず出勤の為、教会には行っておりません。
もっとも、いつもであればクリスマス前の準備で忙しいのですが、今年は当日まで手伝う事がなさそうです。
その分、ゴスペルのほうが忙しい。
仕事とゴスペルの両立を何とか頑張っております。

しかし、そろそろ教会に通い出して5年となります。
そう、片手を越えてしまう時期になってきたんですね。
確かに、幼稚園はクリスチャン系のところだった。
だから、賛美歌とかも歌っていたし、お祈りしている記憶もある。
それに、本当にごく最近(といっても、1年位か)自分が迷った時には聖書を開いたり、祈ったりすると言う癖がついてきた。
・・・・・・でも、それって信仰があるのかどうかわからない。
もしかしたら「周りがみんなやってるから」っていうので、習慣づいた事かもしれないし、昔から根付いている事かもしれない。
もし、今洗礼を受けろと言われたら……迷います。
現に、迷っています。

もしかしたら、私はゴスペルに惹かれるからキリスト教を学問として捕らえて哲学したい気持ちのほうが強いかもしれません。
誰かに背中を押してもらって洗礼を受ける――それも違う気がします。
教会の中に落ち着いていられなくなっている今、見つめなおす事が必要なのかもしれません。

一生懸命親身になってキリスト教の事を教えてくださってきた皆様には申し訳ないのですが、私はもう少し時期を見たいと思います。

コメント

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年11月19日21:59

私は高2の時一時的に福音派の教会に通っていました(ちなみに小学生の時はお経を習っていました)。迷いの多かったときのちょっとした雨宿り、みたいなものでした。神の家は万民に開かれており、私は教えを知り学ぶだけの能力を持ち合わせていました。それもまあ、私には青い頃の経験で、洗礼は受けていません。今は「自然崇拝者です」。

結城 恵
結城 恵
2006年11月24日20:46

>淵瀬さん
コメントありがとうございました。
そうですね、心の雨宿り、そう考えると今のままでもいいのかなと感じます。
なんか、ホッとしました。
結論を出して後悔はしたくないので、もう少し迷ってみます。

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